カテゴリー : 意見評論

阿久根市人事(副市長解任)について

阿久根市の市長選挙はやっぱりこういう結果になった。正直想定内だったとはいえ、結構あっけらかんとして、そんなもんか、というところだろうか。前市長のやり方については、確かに様々な問題があったとはいえ、その主張はそんなに大きく間違っていなかったのではないか、というのが個人的な意見だ。古臭い地方自治をそのまま現代に(下手に)当てはめてみたという図式はなかなか受け入れられるものではないと思う。

新市長のこれからに期待したいところだが、一点だけどうしても気に食わないことがあった。それが副市長であった仙波氏の解任である。仙波氏の副市長就任は、その就任自体がそもそも問題となり(いわゆる専決処分による就任の為)様々な物議を醸していた。その中で、必ずしも味方ばかりでない、否、むしろ敵ばかりである議会相手、マスコミ(?)相手に、よく市長を支えていたと思う。

しかし、選挙で市長が敗れると同時に、仙波氏は即座に辞意を表明した。これは市長が就任したその日の朝のことである。多くのマスコミは、市長初登庁のニュースと同時にこれを掲載している。(例として、毎日新聞の見出し「阿久根市:西平新市長が初登庁 仙波氏は辞意表明」 2011年1月17日 12時10分 更新:1月17日 12時48分)

これに対し、市長は解任という処分を下した。理由は専決処分であったからという。しかし、その他の専決処分の内容については、「議会の対案を待つ」(ボーナス半減条例)だとかで、具体的な取り消しは行われていない。

察するに、新市長は前市長との決別を表現するために、この方法を採ったということが容易に想像できる。一般的に、市長が選挙で敗北した場合、その補佐をする副市長は新市長に対し、辞表(ないしは進退伺)を出すのが通例である。(これは一般的な都道府県知事と副知事にも言える)副市長は、市長が選任したものであるから、副市長は直接的に選挙民によって選ばれた訳ではない。言い方を変えれば、選挙という弁明の機会が設けられることなく、市長を支える女房役であったから、負けたら負けたなりの…という意味で、辞表を預けることになる。(通例的には辞職することになると思うが、場合によっては留任することもある)

この解任は、あからさまに前市長の市政を真っ向否定する為だけのパフォーマンスであると言わざるを得ない。これまで阿久根市で行われてきた様々なパフォーマンスからしたら、大したことないという意見も聞こえてこよう。しかし、新市長就任後、最初の執行が「副市長解任」とあって、このニュースを見た人たちの中に「阿久根市、一件落着也」と素直に思えた人は少ないだろう。(ちなみに、その後も前市長の名前が掲載されたパンフレットの回収など、前市長色の払拭が当面の課題のようだ)

阿久根市はせいぜい人口2万人強の素敵な田舎である。今月31日には議会解散請求の住民投票が公示され、来月20日に投開票が行われる。この街に安らかなる平安の時間が訪れることを望んでやまない。

与謝野馨氏の入閣と選挙学

与謝野馨氏が、経済財政担当大臣として入閣した。

与謝野氏の入閣について、個人的な見解として、否定的ではない。与謝野馨氏の法務通(東大法学部卒であり、官房長官時代も法務関係に関する尽力があった)や財政通(賛否両論あり)と言われている。一部には、官僚と同調する傾向が多々見られることから、官僚寄りだとか言われるが、政治家が政治の舵取りをする船長だとして、船員と志や目標、果てはその戦略戦術までを同一のものとして共有していることに何ら不思議はない。

ちなみに個人的に一点心配する部分は、与謝野氏の体調である。官房長官就任の際もそうであったが、与謝野氏は何かと体調不良という心配が付きまとう。大丈夫なのならいいのだけれど。

さて、選挙学とあるが、、、もう一点、今回の入閣で取り上げられるべきことがある。(既に一部論者などが取り上げているが。)

経済産業大臣には、海江田万里が入閣している。この人事は大変興味深い。なぜなら

  • 海江田万里と与謝野馨は、衆議院小選挙区東京1区で対立候補である。
  • 因みにこれまで、海江田万里が3勝2敗である。
  • 当然だが、同じ選挙区で対立候補なので、主張する政策などは大きく異なる。
  • ちなみに、与謝野氏は、直近の選挙では小選挙区で負けており、比例復活している。
  • なお、この比例復活は「自民党」でのもの。たちあがれ日本移籍、さらには今回の人事においても議員辞職していない。

仮にも同じ経済を担当する2人の所轄大臣が、同じ選挙区で争った人たちというのは、またどういうことだろうか。(法的に全く問題はないとしても、モラル的な問題しかり、有権者的にもどうなのだろうか。)次回選挙の時にはこのような候補者プロフィールが想定される。

・与謝野馨 無所属 現 経済財政担当大臣
・海江田万里 民主党 現 経済産業大臣

となると、いったい東京1区の人たちは、今の民主党政権(菅内閣)に対して否定的な立場を選挙にて表したい場合、いったいだれに投票すればよいのだろうか。(これまでは、ある意味わかりやすかったが)

まあ、これを機に又吉イエスでも当選してくれればいいのか。笑

高速の看板が、公団ゴシックからヒラギノ角ゴW5に。

うーん、個人的には大変残念なニュース。

asahi.com(朝日新聞社):高速道路の標識、「ヒラギノ」書体に iPadと同じ – 社会

高速道路の標識、「ヒラギノ」書体に iPadと同じ - 2010年12月14日15時0分

 東日本、西日本、中日本の各高速道路会社(NEXCO)は、高速道路の案内標識に使ってきた独自の書体を、米アップルのiPad(アイパッド)などに採用されている市販のものに変えることを決めた。高速走行中でも見やすく、バランスが良いという。書体の変更は、1963年に国内初の高速が開通して以来、初めて。

 新しい書体は、大日本スクリーン製造(京都市)の「ヒラギノ角ゴシック体 W5」。書籍や雑誌、テレビ番組のテロップなどに広く使われる。文字を構成する一画一画の間の空白の大きさが均等に見えるのが特徴だ。

 3社は今年7月、新規開通や付け替えなどで標識を業者に発注する際に、今後はヒラギノを使うよう指示することを決定。今月開通した東九州自動車道(宮崎・門川―日向間、13.9キロ)の標識に早速登場した。

 これまでの書体は、昭和30年代に旧日本道路公団が考案し、角張った独特の形状で「公団ゴシック」と呼ばれた。字の印象を決める部位を強調したり画数が多い漢字は大胆に省略したり、ドライバーが一瞬で認識できるよう工夫が凝らされた。

 ただ、省略が多すぎるとの指摘があるほか、新しい字が必要になるたびに一からデザインするため、当初の開発者が亡くなった後は「統一性に欠ける」との問題もあった。(榊原謙)

うーん、個人的には大変残念なニュース。
まず公団ゴシックが確かに様々な問題点があったのは否めない。独特な文字であったために、一つの漢字でも複数のパターンがあったという時点で、場合によっては「フォント」という概念から多少なりとも逸脱したものであった、という一部主張も事実だろうと思う。視認性については、もちろん長所が多かったと思うけれど、これについても一部の反対意見があるのも事実だ。

ちなみに、どう独特なのかというと、以下を見てほしい。

三鷹(中央高速三鷹料金所)の鷹の字が簡略化されている。これは鷹の字を完全に再現してしまうと視認性に大変乏しいということで、簡略化されている。このお蔭で、高速で走る自動車も迷うことなく走ることができるのだ。

然し、趣があるという意味で、あとは慣れ親しんだ表記が消えてしまうというのはかなり悲しい部分がある。
以前、某団体でステッカー作成をしたときに、以下サイトを利用させてもらった。

正式名称:GD-高速道路ゴシックJA-OTF (GD-HighwayGothicJA-OTF)

http://www.hogera.com/pcb/font/

様々な看板から文字を拾っていって、公団ゴシックをフォントファイルとして再現するという壮大な事業だ。
勿論、全ての文字があるわけではなく、むしろ教育漢字でも対応できていない文字が多い。しかし、これだけの人たちが画像投稿していたり、やはり愛着がわくのだろうか、ユーザも多い。長く親しまれてきたからこそのニーズなのだろう。

さて、個人的な意見を以下に。

公団ゴシックの特異性豊かなフォントから、余りにもありふれてしまったヒラギノに変わるということが、なんというか普遍すぎて大変残念というのもある。例えば新幹線の行先横断幕や、空港の案内板を見て興奮した子供の頃と同じように、今も昔も変わらなかったあの公団ゴシックは、皆に親しまれてきた文字なのではないだろうか。(私は、これが「JRの駅名表示板が変わる」だったら、大ニュースだと思うのだが。)そういう子供の時の小さな小さな記憶の芽を摘み取ってしまうようにまで感じられて、残念に思う。

ヒラギノのように大変普遍的な文字(ヒラギノはマッキントッシュに標準でついてくる文字。正確に言えばマッキントッシュではW3とW6だが)だし、今ではiPadなどでもお馴染み。さらに言えば、字幕でもよく見かけるほどの普遍的な文字だ。こういう文字を使ってしまうことでいきなり事故が多発するということはないだろうが、表記が変化することによる悪い意味での「運転手の注意」もあるだろう。個人的には大変心配だ。(付け加えておくがヒラギノ自体は嫌いじゃない。小塚ゴシックの方が好きだけれど)

と、まあ色々と主張してしまいましたが、もう既に工事で一部は変わりつつあるということで、もうどうしようもないこと。「高速道路の文字を再現しよう計画」の一刻も早い計画達成が望まれますね。