無力な「ゼロ金利」、逆行の「為替介入」

やはり、今日もだ。

何がって、財務省の為替介入が今日も入らなかった。某官房長官が、「83円台が(財務省の考える)防衛ラインだ」と明言しているにもかかわらず、だ。既に今日の為替レートは、最低ラインで82.75円を記録している。

2010年9月15日、財務省は為替介入に踏み切った。これは約2兆円規模とも言われており、かなり大規模なものだった。民主党の代表選挙直後でもあり、市場では大きな動揺があり、1円以上も円安に傾くなど、一定の効果はあった。

しかし、それからわずか3週間で、今の為替レートである。これは、当時の為替レートよりも円高である。なのになぜ、為替介入を行わないのか。そのヒントはいくつかあるだろう。だが、その前に言っておかなければならない。それは、為替介入は無駄だということだ。

ヒントとともに説明することになるが、単純な話、為替介入で日本だけが助かるなんてシナリオは、期待してはいけない。それはあり得ないからだ。それは、そもそもこの円高がなぜ起きているか、を根本的に考えなければならない。

現在の円高(円の価値が相対的に高まる)は、決して円の価値が本質的に高まっているからではない。そして、ここに気を付けなければならないのが、相対的に円の価値が高まっていることとも違うということだ。確かに、日本円は世界経済において、為替の逃避先であることは事実だろう。しかし、逃避先であるということは、もはや一時避難的な場所であって、相対的に円の価値が高まるというような対等関係ではないということだ。

具体的に言えば、米ドルやユーロの諸問題(これについて述べることは控える)に左右され、そういった影響下において逃避先とされる日本円について、その材料として「日本の政治」「日本の経済」を見られることは殆どないということになる。むろん、様々な要因にって、それらが為替に影響を与えることはあっても、それは一時的であるということが、主張である。

円高における為替介入の効果は、おおよそ2週間しかもたなかった。その間には、大手銀行筋の大口取引があり、一時的には為替介入が2回目に、との疑惑も生まれた。しかし、そういった大きな疑惑などがあったにもかかわらず、そして数年ぶりの為替介入の金額が2兆円規模とある程度大規模であったこと、小沢一郎落選という市場期待のない時期に、サプライズとして行った、ということを考えても、この効果の持続性には、疑問がつく。

すなわちそれは、「日本の為替介入」を持ってしても、日本は世界市場の主導権は握れないということだ。この間に、日本は尖閣諸島問題に鑑み、レアアースの輸出規制を食らうなど、多少なりともというよりは、日本経済を主体的に見たときにかなり大きな問題があった。この内容も「円安」に触れるべき内容にもかかわらず、それから一向に為替は円高方面に進んでいる。

もはや、為替介入に力はない。というより、ゼロ金利もそうだが、為替対策としてはもはや国内の経済施策に「ありきたり」は無力であり、まったくもってナンセンスだろう。所詮、日本経済は世界から見たときに「逃避先」であり、それ以上のポジションを今奪うことは難しいのである。

為替介入にはリスクが伴う。アメリカは、為替操作国に対して経済制裁を加えることがしばしばである。これは、為替操作国=民主化されていない、資本主義に介入が入る国、という解釈があるからである。しかし、この解釈は現在の日本にあてはめようとすれば、できなくもない。これは、日本自体に為替操作国認定が起きるという危惧ではなく、逆説的に中国やその他の国に対して為替操作国認定が降りなくなる、という危惧のほうが大きい。特に日本に対して認定せず、中国だけを為替操作国認定をした場合、日中関係におけるアメリカのスタンスに、悪影響を及ぼす可能性があるだろう。

日本がアジア経済の中心となるべく行動するならば、アメリカ・ヨーロッパの逃避先であるという現実に応じながら、対中有利な施策をしていくことが求められるのではないだろうか。こういったことからも、東アジア経済圏、さらには東アジア共通通貨の可能性について再考することも、あるいは可能かもしれない。


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