クレヨンしんちゃんのおしり
クレヨンしんちゃんを持ち出されると日本人は弱い。
そこまでPTAの淡い期待をいい意味で裏切ったあのアニメこそ、日本アニメの金字塔だろう。
都の漫画規制条例 守ったものは子ではなく大人
漫画「クレヨンしんちゃん」の主人公、野原しんのすけが近年、おしりをあまり見せなくなっている。
アニメ化された当初、しんちゃんの言動は社会現象になる一方、低俗番組扱いもされた。青年漫画誌の連載のためか大人受けする皮肉やきわどい性表現も見られ、親をばかにするようなセリフが子に悪影響だとして、保護者団体からやり玉にあげられた。
その騒動をパロディーにもしていた作者の臼井儀人さんは昨年、事故で亡くなった。生前に作風を変えたのはさまざまな理由があってだろう。
作品は作者の手を離れて世に出た瞬間から作者だけのものではなくなる。読者や視聴者との対話、あうんの呼吸で作品は洗練もされうるし、受け入れられもする。
その過程に行政が入り込む余地はない。創作物に規制を施そうにも明快な客観基準を見いだせないからだ。親を敬えというのは道徳的善。性的なものへの寛容も嫌悪も十人十色。近代国家において法と道徳の分離は必要条件、権力が表現行為に不当介入しないことが十分条件だ。
事の重さを東京都議会は自覚すべきだった。この1年、物議を醸し続けた都青少年健全育成条例の改正案がきのう可決、成立した。いわゆる有害図書の指定制度が十分機能しているにもかかわらず、漫画やアニメ、ゲームの過激な性描写への規制を広げる。
18歳未満のキャラクターを示す「非実在青少年」という不可思議な文言は削除されたが、規制対象がよりあいまいになった。作家や出版社への萎縮効果は絶大であろう。
今回の改正論議が一貫して行政主導で進んだことから、摘発強化に重点が置かれたのは明白だ。条例を所管する都の青少年・治安対策本部は警察幹部OBがトップを務め、警察庁出向者もいる。
親が有害と感じるものを子から遠ざけたい思いは自然だが、懸念はたいてい取り越し苦労である。表現物の性的描写と実際の性犯罪とは何ら因果関係を見いだせないとするのが定説だ。何が有益かを判断する力は、家庭や地域が学びの機会を与え、多様な情報に触れる中で子自身が磨いていくものだろう。
この条例が守るのは子ではなく、親のかりそめの安心、警察の威厳ではないか。
問題作「クレヨンしんちゃん」はすっかりホームコメディーの定番となり、行政がお墨付きを与えるほど。評価は時代によっても変わるのだ。
不快なものを排除する規制のたぐいは、歯止めがかからなくなる。戦前の言論統制も国民に分かりやすい漫画の規制から始まった。独善的な正義や道徳で作品を焼く者は、いずれ人をも焼く。それこそ歴史が証明している。
社説2010年12月16日(木)付 愛媛新聞
クレしん、、、個人的に大変好きなアニメだ。
というか、そもそも原作というかの漫画をたくさん持っていたが(今は売ってしまった。)その一つ一つの笑いが実は高度な次元であったりして、特に初期の頃は大変大いに笑わせてもらった記憶がある。(ネタを言いだしたらキリがないが、小生一番のお気に入りは「シリアナ東京」から「うんこ食ってるときにカレーの話するんじゃねぇよ」の流れだ)
そのクレヨンしんちゃんが一躍有名になった&泣ける話になってしまったのは、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』だろう。もう何度もロードショーになっているので知っている人もたくさんいると思うが。あの話を見て以来、(多くの国民がそうなのと同様に)クレヨンしんちゃんにある未知なる力を私は信じ始めた。
映画の詳細はWikipediaにでも解説を譲るとして、明確にドラマチックストーリーを「クレしん」で再現して魅せたあの作品は、「子供に見せたい作品」に違いない。「死」というものに対して考えさせるアニメ、というレベルはなかなか難しい。(厳密にそこにフォーカスを当て続けているブラックジャックやらとは訳が違うわけで、さらに言えば其れまでのPTAを寄せ付けないシュールとは一線を画したという意味では貴重だ)この気持ちを支持する人たちがきっと他にも多いだろうし、双葉社の作品として、もう臼井先生はいないが、これからもトップを突き進む作品になるのだろう。
問題は、果たしてクレしん『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』は、それまでの斬新さがあったからこそ対比的に捉えられ賛美されたのだと信じている。当然それまでの間に様々な物議を醸した作品だからこそ、注目を浴び、「子供から大人まで喜ばれる」作品となったに違いない。愛媛新聞の論評にもあるが、「読者や視聴者との対話、あうんの呼吸で作品は洗練もされうる」作品であるからして、一方的な解釈さらには抑圧はナンセンスと言わざるを得ない。
東京都の条例は可決されてしまった。明確に反対したのは日本共産党と生活者ネットワークだけだという。
時代が変わろうとしている。その契機を過去に1回だけでも示したはずの臼井氏は、天国でこの決定をどう受け止めているのだろうか。
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