のぞみN700系はサービスもよい。

関西出張ということで、徹夜で関西に向かっている。こういう日に、やはりJRの凄さを思い知らされる。

昨晩は終電で帰宅した。ちなみに自宅のある三鷹に1:15に到着する中央線各駅停車は関東で最も遅くまで運行している列車でもある。(遅れなどがない場合)そして、僅か3時間25分後には、もう始発電車が走っているのが、JRという企業だ。

そして始発新幹線だ。ちなみに、東海道新幹線の始発は6:00東京発だと思われがちだ。(いや、確かに正しいっちゃ正しい)だが、その同じ時間にお隣品川から出発する電車があることをご存知だろうか。同じN700系の博多行き、ということは、東京~品川間の時間差がそのまま先着差となり、すなわち「関東始発でもっとも関西圏に早い時間に到着する電車」になる。ちなみに6時より前に新幹線が運行できないことは、法律上の規定による。

さて、今、ちょうどそのN700系(品川始発の、のぞみ99号)で関西に向かっている。(ちょうど新横浜を出発したあたりでこの記事を書き始めた)N700系は無線LANサービスを提供していて、トリプレットゲート社と付き合いがある関係でワイヤレスゲートに加入しているので、ネットが使い放題である。無線LANが使えて非常に便利なことは言うまでもない。

N700系はスタッフ教育も非常に素晴らしい。車掌が車両通行時には、車両の出入りで必ず一礼をする。ここまでは、実はどの車両でも同じことなのだが、やはりしっかりと止まって、しっかりと礼をして、体を起こして、そしてから動き始める。。。ここまで気持ちいい礼をしてくれるスタッフは、実はそんなに多くない。そういった意味でも、N700は訓練された車両だ。

それにしても、非常に気持ちいい青空が広がる朝だ。ほぼ徹夜の自分には、この太陽と青空が眩しくてしょうがないけれど、これからコンサルティング先のマスタースケジュールをガントチャートで再度作成しなくてはならない。寝る暇などないのだ。ということで、仕事でもします。あとで撮れたら富士山でもアップしたいところだけれど。。。

ノーベル化学賞について

ノーベル化学賞に日本人が選ばれたというニュースが、昨日入ってきた。午後7時ごろのことだ。
客先だったので、なんとも表に出さない表情で喜んでしまったのだが、技術立国日本だからこそ、研究者たる方々の、これからの研究にもモチベーションあがることだろう。

さて、そのニュースについて、気になる点があった。

根岸・鈴木氏、特許取得せず…栄誉の道開く一因

読売新聞 10月7日(木)12時46分配信
 今年のノーベル化学賞に決まった根岸英一・米パデュー大学特別教授(75)と鈴木章・北海道大学名誉教授(80)は、パデュー大の故ハーバート・ブラウン博士の下で学んだ同窓生だが、2人とも、受賞対象となった技術について特許を取得しなかったという点でも共通している。 経済的なメリットは逃したかもしれないが、特許を取らなかったことで技術は世界へ広く普及し、研究者最高の栄誉へと道を開く一因にもなった。 根岸氏は6日、受賞者発表会場のストックホルムからの電話インタビューで、クロスカップリングについては特許を取得しなかったと明かした。根岸氏は「特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考え、半ば意識的にした」と述べた。

確かに、彼らの主張は素晴らしいことだ。研究のスピードを速めるため、特に生産技術に多大な進歩を残した受賞者の方々の発明は、その応用性を鑑みれば、特許による様々な縛りが起きなかったことが、今の生産技術発達という「結果」をもたらしたに違いない。なので、繰り返し言うが、意図的に特許を取らないという方法によって、技術発明の世界に貢献したことは、非常に喜ばしいことである。

然し、そこで考えなくてはならないのが、「たとえば特許を取って、その利用料・ライセンスをフリーにする」ということはできなかったのだろうか。例えば、昨今の技術やノウハウは、(ソフトウェアであれば)オープンソースという形で、無償にて提供される。それが営利的なものか、非営利的なものかについてのみ、場合によればその権利に制限がかかることはあるが、たとえばWordPressなどであれば、それすら問題ではない。

なぜそういう疑問を提示するかといえば、答えは簡単である。すなわち、「(受賞者と)同じ考えを持たないよからぬ輩に、特許を取られてしまうというリスクは考えたのか」という一疑問があるからである。この技術を応用して利用しようと考える研究者は、当然この技術発明についてある程度の見識・知識を有することとなるはずだ。その際に、この技術から応用発展する成果物に対して保護を加えるため、前掲した「あくどい」ことをする人はいなかったのだろうか。

もっとひどいことを言えば、そういった技術を盗むことを専門にする方々もいらっしゃる。特に最近は某アジアの国なんかで、そういった問題が非常に多い。知的財産権と技術発明とは切っても切れない関係だからこそ、発明と発明者に対する保護=特許、という枠組みではなく、「発明者の発明した意図、その意向」が反映されるような権利関係の改善糸口が見つかれば、技術立国日本がこれ以上大きな問題を抱えなくて済むと思うのだが。。。

無力な「ゼロ金利」、逆行の「為替介入」

やはり、今日もだ。

何がって、財務省の為替介入が今日も入らなかった。某官房長官が、「83円台が(財務省の考える)防衛ラインだ」と明言しているにもかかわらず、だ。既に今日の為替レートは、最低ラインで82.75円を記録している。

2010年9月15日、財務省は為替介入に踏み切った。これは約2兆円規模とも言われており、かなり大規模なものだった。民主党の代表選挙直後でもあり、市場では大きな動揺があり、1円以上も円安に傾くなど、一定の効果はあった。

しかし、それからわずか3週間で、今の為替レートである。これは、当時の為替レートよりも円高である。なのになぜ、為替介入を行わないのか。そのヒントはいくつかあるだろう。だが、その前に言っておかなければならない。それは、為替介入は無駄だということだ。

ヒントとともに説明することになるが、単純な話、為替介入で日本だけが助かるなんてシナリオは、期待してはいけない。それはあり得ないからだ。それは、そもそもこの円高がなぜ起きているか、を根本的に考えなければならない。

現在の円高(円の価値が相対的に高まる)は、決して円の価値が本質的に高まっているからではない。そして、ここに気を付けなければならないのが、相対的に円の価値が高まっていることとも違うということだ。確かに、日本円は世界経済において、為替の逃避先であることは事実だろう。しかし、逃避先であるということは、もはや一時避難的な場所であって、相対的に円の価値が高まるというような対等関係ではないということだ。

具体的に言えば、米ドルやユーロの諸問題(これについて述べることは控える)に左右され、そういった影響下において逃避先とされる日本円について、その材料として「日本の政治」「日本の経済」を見られることは殆どないということになる。むろん、様々な要因にって、それらが為替に影響を与えることはあっても、それは一時的であるということが、主張である。

円高における為替介入の効果は、おおよそ2週間しかもたなかった。その間には、大手銀行筋の大口取引があり、一時的には為替介入が2回目に、との疑惑も生まれた。しかし、そういった大きな疑惑などがあったにもかかわらず、そして数年ぶりの為替介入の金額が2兆円規模とある程度大規模であったこと、小沢一郎落選という市場期待のない時期に、サプライズとして行った、ということを考えても、この効果の持続性には、疑問がつく。

すなわちそれは、「日本の為替介入」を持ってしても、日本は世界市場の主導権は握れないということだ。この間に、日本は尖閣諸島問題に鑑み、レアアースの輸出規制を食らうなど、多少なりともというよりは、日本経済を主体的に見たときにかなり大きな問題があった。この内容も「円安」に触れるべき内容にもかかわらず、それから一向に為替は円高方面に進んでいる。

もはや、為替介入に力はない。というより、ゼロ金利もそうだが、為替対策としてはもはや国内の経済施策に「ありきたり」は無力であり、まったくもってナンセンスだろう。所詮、日本経済は世界から見たときに「逃避先」であり、それ以上のポジションを今奪うことは難しいのである。

為替介入にはリスクが伴う。アメリカは、為替操作国に対して経済制裁を加えることがしばしばである。これは、為替操作国=民主化されていない、資本主義に介入が入る国、という解釈があるからである。しかし、この解釈は現在の日本にあてはめようとすれば、できなくもない。これは、日本自体に為替操作国認定が起きるという危惧ではなく、逆説的に中国やその他の国に対して為替操作国認定が降りなくなる、という危惧のほうが大きい。特に日本に対して認定せず、中国だけを為替操作国認定をした場合、日中関係におけるアメリカのスタンスに、悪影響を及ぼす可能性があるだろう。

日本がアジア経済の中心となるべく行動するならば、アメリカ・ヨーロッパの逃避先であるという現実に応じながら、対中有利な施策をしていくことが求められるのではないだろうか。こういったことからも、東アジア経済圏、さらには東アジア共通通貨の可能性について再考することも、あるいは可能かもしれない。