毒舌を吐くということ。

最近、マツコ・デラックスとか、有吉が流行っている。

社会に対する嫌悪や憎悪とまでは言わなくても、そういった悪口を前面に出せるようになる社会というのは、どうも不安定な時に多い。それを声を大にして言える時代とそうでない時代が今まであったにしても、やはり声を大にする勇気というのは大なり小なりあるもんだ。
マツコ・デラックスは毒舌を吐くし、有吉弘行はとんでもないあだ名をつける。
しかし、そういう番組がどんどん人気を上げていくというところ、やはり、悪口を前面に出していく風潮というのが、最近本当に顕著だと思う。

似たようなものに、風刺画がある。
様々な時代の中で、風刺画は「事実」を手堅く描写していた。今でも中学歴史で必ず見ることがあるだろう風刺画としては、三国干渉やら、日露戦争やら、まあいろいろあると思う。風刺画も、日本の状況を面白おかしく表現することに長けていた。

産経新聞の政治面には、よくこの風刺画が描かれている。最近は産経新聞を読まなくなってしまったので、記憶が曖昧でもあるが、殆どの場合、国会の与野対決なんかを実に滑稽に表現していた。そういえば、最近は「無駄ツモ無き改革」という漫画が流行っているが、最初のストーリーでも、かなり痛々しいところをうまく表現していた。

思うに、こういう時代の流れで、人々の支持を仰ぐには、もしかしたら、先例に学ぶべきなのかもしれない。有吉が10年以上も前に流行ったのは、猿岩石時代。ヒッチハイクで、「旅人よ」とかが流れていたあの時代だった。あの時代はあの時代で、BPO的に今じゃ絶対に落ちる話もやっていた、開放されていた時代。あの時代に戻ることは出来なくても、人々の不安を解消させるという流れの中で、今は毒舌が一つのテーマなのだと実感した。


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